今日は入学式がありました。場所は学内のチャペル。
地方の公立高校から、国立大学に進んだ私は、私立大学の雰囲気にはあまり縁がなく、ましてミッションスクールのカルチャには始めて接しました。
最初にパイプオルガンの演奏がありましたが、きいているうちに、少し涙ぐんでしまい、そんな自分に少し困惑。自分では意識していなかったけど、結構、人生つらかったのかな・・・なんて思いました。それと、「場の力」ってありますね。私は無宗教ですが、なんだか、少し信者の方の気持ちが分かった気がしました。
吉岡学長のお話もよかったです。
印象に残った話。その1
可能な限り遠いところから、自分を位置づけ直してみる。
セカンドステージ大学での学びは、若い頃の学生時代の学びとは違い、既に身につけた知識や経験を、自分自身を超えたより広い文脈の中で、もう一度位置づけ直すためのもの。例えば、宇宙というスケールから自分を見つめてみるなど、可能な限り大きなスケールの中に自分をおいて、自分自身をとらえなおしてみることがシニアの学びだ、と言うお話がありました。
ビジネス生活中心の何十年。考えてみれば、今日のこと、明日のことで精一杯だったかもしれません。いつも、身構えていたような・・・。
もちろん、それはそれで充実感もあり、経験にもなり、自分の成長にもつながり、何より挫折という貴重な体験もすることができました。
でも、今からを考えれば、いつまでもこれまでと同じやり方でパフォーマンスを発揮することは難しい。社会の一員として、もう少し成熟した生産性をもてる人間にならなければならない。そう考えていた私には、「自分自身を超えたより広い文脈の中で、もう一度位置づけ直す」という言葉に、これからのヒントを得た感じがしました。
印象に残った話。その2
大学の、アジュールとしての役割。
アジュールはフランス語で砦という意味で、概念的に言えば「超法規的な場」であり、具体的には駆け込み寺、シェルターなどもそのひとつ。
東日本大震災の際に立教大学がキャンパスを一般に開放し、人々を受け入れた時の経験を踏まえ、大学が持つアジュールとしての役割の重要性についてのお話がありました。
私は、この概念を十分に理解は出来ていないかもしれませんが、「法より生存権が優先する」ということ、緊急時には、法からも独立した逃げ場が必要だという意味に受け取れました。それは、震災などの自然災害時の逃げ場というだけではなく、さまざまな社会問題からの逃げ場でもあり、人が生きるうえでの「生」そのものの逃げ場にもつながるものではないか、と私は勝手に解釈しました。もちろん、「逃げ場」というのは後ろ向きな意味ではなく、前向きな再生のための独立区のような感じです。
そして、そう考えれば、これは、なんとシニア層にぴったりな言葉ではないでしょうか。人生の転換期には悩みや問題がつきまといます。アイデンティティが危うくなったりもします。
そのような観点から見れば、セカンドステージ大学は、人生のステージ切り替えををスムーズに行うための、シニアにとってのアジュールではないか。単なる生涯教育機関ではなく、生き方のシフトをしなければならない転機、難しい時期を乗り越えるためのアジュールではないか。そう思えてきました。
そして、そう考えれば、今日、ここで新しいスタートを迎えている自分の選択が、より深みと意味を帯びてくる気がして、どんな結果にしろ、自分の選択を前向きに生かそうと心をあらたにしました。
入学式の後は、事務室で学生証と履修関係の資料を受け取り、今日はおしまい。
たまたまエレベーターに乗り合わせたY子さんと知り合いになり、ランチをいっしょに。午後は、オフィスで仕事なのに、お祝いだからとグラスワインをいただいてしまいました!
年代も、長年仕事をしてきたキャリアも似ていて、いい友人になれそうな予感。
今日は、全国的に、春の嵐のような大荒れの天気でしたが、私のスタートはまずまず好天に恵まれました。