2012年6月24日日曜日

新藤兼人監督の残したもの・2

録画しておいた、「100年を生き抜く 追悼 映画人・新藤兼人」を見ました。
先日、「新藤兼人監督の残したもの」というエントリーで、「人は、生きている限り、生き抜きたい」という座右の銘について書きましたが、この追悼番組で、その言葉が生まれた背景を知りました。

それは、妻であった音羽信子さんが、がんを患い、手術後、余命1年半と言われたときに始まります。新藤さんは、音羽さんの最後の時間を実りあるものにするため、全精力を傾けようと決めました。



まず、結婚記念の写真を撮影。照れ屋の新藤さんは、そういうことを一度もしてこなかったのだそうです。そして、京都のお寺に、二人のお墓をつくりました。死後の世界を約束することで、音羽さんの病気との闘いを励ますためです。

そして、その京都への旅で、音羽さんとの最後の映画をつくろうと決心。それが、死をテーマにした作品「午後の遺言」です。私は、以前にこの映画を見ていましたが、このような背景からつくられたものだとは知りませんでした。

制作費は、新藤さん、音羽さん、制作会社が3等分したそうです。
「老人をテーマにした映画など、配給会社は顔を背けるし、スポンサーもつかない。私たちの45年は、常にこういう問題に尽きた」と新藤さんは語っていました。

「午後の遺言」は、3人の女性が、それぞれの老いを生き抜く姿、それぞれが死の影を引きすりながら、どう生きていくかを描いています。その作品を撮るにあたり、テーマを一言で言えば、、「人は、生きている限り、生き抜きたい。」ということだと、新藤さんは言ったのだそうです。

死に向かい体力も弱りつつある女優・音羽信子さんと、その夫・新藤兼人監督が、自費を投じて、最後の作品に取り組む。しかも、死をテーマとして。監督として、女優として、また夫婦のあり方として、とても真似のできない生き様だな、と思いました。

音羽さんの最後の言葉は、「先生が、目が見えなくなったら、仕事を辞めて手を引いてあげようと思っていたけど」というものだったそうです。
新藤さんは、「ひとりになった。寂しいけど、そういうことは人間の条件として当然来るものだと思っていました。」と語っていました。

そして、寂しくても、それを受け入れて生きていくためには、「日々、自分がやってきた仕事を続けること。例えば、役に立たない随筆ひとつでも、自分が書きたいと思ったことを書く心は、自分を助けてくれる。」と。

その後、戦争の生き残りであるという自らが抱え続けてきた原罪ともいえるテーマに向き合った最後の映画、「1枚のハガキ」を残し、新藤さんは100歳でその命を閉じました。まさに生き抜いた人生だったのだろうと思います。

あらためて、ご冥福をお祈りします。


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新藤兼人監督の残したもの

2 件のコメント:

  1. 寂しくても、それを受け入れて生きていくためには、「日々、自分がやってきた仕事を続けること。例えば、役に立たない随筆ひとつでも、自分が書きたいと思ったことを書く心は、自分を助けてくれる。」・・・・素敵ですね。私も肝に銘じます。(*^^*)

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  2. そうですね。私も、この言葉は、心に響きました。
    当たり前のことのようですが、そういう気持ちを持ち続けることは、「言うはやすく行うは難し」なのかもしれませんね。
    精神を弛緩させないようにすることが大事なのかなあ・・・なんて思いました。
    (人間、楽な方に、ダラダラと行きがちだから・・・)

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