「生まれてから死ぬまでの間に、人間はどのように発達していくか?」について、いくつかの学説(研究)をもとに、考えていく授業です。発達とは、乳児期から老年期を迎えるまでの成長サイクル、簡単に言えば「生まれてから、老いていくまでの人生のステップ」と言ってもいいかもしれません。
その授業の中で、シニア期の「第2のモラトリアム」についてのコメントがありました。
そもそも、モラトリアムとは?
「モラトリアム」という言葉は「アイデンティティ」とともに、いまや一般用語化していますが、もともとは両者ともに発達心理学の分野から生まれた言葉です。発達論では、青年期(例えば学生など)において、社会に出て一人前の人間となる事を「猶予」されている状態のことをモラトリアムと言います。(大元は、金融用語)
このモラトリアム期間に、いろいろと考えたり、試したりすることによって、「自分は何者であるか」「将来何でありたいか」などを自覚して、人生の方向を決定をすることができる。つまり、アイデンティティを確立することができる。
逆に言えば、アイデンティティを確立して大人になるためには、自分探しのモラトリアム期間が必要だ・・・という理論ですね。
モラトリアムという言葉の使われ方が変わった時期。
私は大学時代に発達論を勉強しましたが、ちょうど卒業した頃に、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』という本が出て、マスメディアでもさかんにこの言葉が使われるようになりました。多くの方が、モラトリアムという言葉を知ったのは、この頃ではないかと思います。
その時には、「モラトリアム(猶予)」期間を過ぎても、そこを抜けることが出来ず、いつまでも大人になれない(なろうとしない)若者たちが多くなったという、社会現象として語られました。
つまり、社会が豊かになってきて、いつまでも自分探しをしたり、学生気分のままで大人になろうとしない若者たちを「モラトリアム人間」と呼び、発達学でいう本来の意味とは少し違う否定を含んだ意味で、「モラトリアム」という言葉が使われはじめました。
あれ?こうして振り返れば、私たちの世代は、「モラトリアム人間」出現の走りだった・・・ってこと?
人生第2のモラトリアム。
さて、講義の話に戻ります。講義の中で先生はこうおっしゃいました。青年期から「第一のモラトリアム」を経て大人(壮年期)になるが、その後、老年期を向かえていく前段階で、もう一度自分をみつめなおす「第2のモラトリアム期間」があってもいいのかもしれない。そして、セカンドステージ大学はその受け皿とも言えるのではないか・・・と。。
人生が長くなったので、モラトリアムは2回必要になった、という見解ですね。みなさんは、どう思われますか?
確かに、シニア期にも、本来の意味でのモラトリアム期間(次のステージへの成長ステップとしてのモラトリアム)はあってもいいのかもしれません。でも、いつまでもモラトリアムを終えようとしない「モラトリアム人間」になってしまっては、問題です。
「早く一人前になって社会にでよう」とは思わず、いつまでも親の世話になりたい、できるならずっと学生でいたいと考える「モラトリアム青年」と同じように、これまでの成功体験や価値観、習慣から抜け出そうとしない「モラトリアムシニア」になってしまっては、それ以上の成熟はありません。
世の中には、「弟2のモラトリアム」などと言っていられない人もたくさんいます。セカンドステージ大学に通うことが出来る人は、相対的には恵まれている人たちでしょう。
だからこそ、「モラトリアムシニア」になってしまわないよう、限られた猶予期間としての本来の意味でのモラトリアムを意識して、次のステップに進まねければならないと思います。
「モラトリアムシニア」・・・・
返信削除流行語大賞!!となる日が来るかもしれませんね。
そうですね。ひとつの社会現象ですものね。
返信削除多くのシニアが、小さくてもいいから、なんらかの生産活動に関与できるようになればいいなあ、と私は思ってます!